「……ねえ、絶対にこれで行くよ」
放課後の理科準備室。窓の外は夕闇が迫り、使い古された黒板の前には、粉をかぶったチョークが転がっている。
隣で机に突っ伏していた、少し背の高い現実主義者・瀬戸が、死んだ魚のような目で顔を上げた。彼女は親友。ただでさえ来たくもない登校日の放課後に、岡崎の進まない自由研究の相談に付き合わされているのだ。
「……ねえ、何。……自由研究のテーマね。まだ決まってないのは分かってるけどさ」
「え、何よ。……自由研究のテーマが決まらないっていう『不自由な状況』を打破するために、私は『自由』そのものを解剖することにしたのよ。つまり、メタ構造の極み。自由研究の自由を、自由研究する。これこそが、この学校の知性の最前線よ」
岡崎は黒板の真ん中に、巨大な文字で「自由」と書いた。チョークの粉が彼女のパッツン頭に白く付着する。
「……あー、はいはい、知性の最前線ね。で、どうやって研究するのよ。哲学書を全部読むの?」
「いいえ。私は『自由』の歴史を遡り、過去の賢者たちの知恵を借りて、現代の私たちが陥っている『自由の罠』を暴くの。見て、このリスト!」
岡崎が取り出したのは、なぜか非常に格好いいデザインのノートだった。
「まず古代ギリシャ。アリストテレスは『目的への自由』って言ったわ。自由とは単なる衝動じゃなく、自分の目的(徳)のために正しく行動すること。……つまり、お菓子を食べるための自由じゃなくて、お菓子を食べるための『正しい目的』を追求するのが自由ってこと。……これ、お菓子を食べる前にカロリーを計算する行為に相当するわね」
「……(いや、それただの健康志向だろ)」
「次は近代。スピノザよ。彼は『必然性の認識としての自由』を説いたわ。自由とは、自分の行動を支配する原因を正しく理解すること。……ねえ瀬戸、私たちがスマホをダラダラ触ってしまうのは、アルゴリズムに支配されているからよ。その理由をメタ認知できれば、それは自由への第一歩なの」
「……(……もう、難しい話はやめてよ。結論だけ言って)」
「いいえ、まだよ! カントは『自ら課した法則に従うこと』が自由だって言ってる。自分の欲望という奴隷に支配されるのは自由じゃない。自分で決めたルールに従うのが真の自由よ。……一方でヘーゲルは、自由は歴史の中で精神の発展として進歩するものだと主張したわ。奴隷制度から民主主義へ。歴史の積み重ねが今の私たちの自由を作ったのよ」
岡崎は熱っぽく語り、チョークを激しく動かす。
「そして現代。サルトルは『自由の刑』って言った。人間は自由という刑に処されている。自分で全部決めなきゃいけないから苦しい。……ねえ瀬戸、今の私の気持ち、これじゃない?」
岡崎は瀬戸の肩をギュッと掴んだ。
「……いや、私はただ『宿題のテーマを早く決めてほしい』って思ってるだけなんだけど」
「違う! それは『選択肢がないことへの不満』であって、本質的な自由への苦悩じゃないわ! 私は今、この自由研究のテーマを『自由』にすることを選んだ。この決断こそが、私の自由の証明なの!」
岡崎は白旗を翻すように、ノートを突きつけた。
「結論! 現代における自由とは、『ノイズを遮断し、自分の意志で『何もしない』を選択できる能力』である! 自由研究のテーマが決まらなかったのは、私が『何もしない自由』を無意識に選択していたからなのよ。……わかった? これをそのまま発表するから。いいわね、瀬戸。あなたは私の『現実的なツッコミ役』として、この歴史的瞬間を記録しなさい!」
「……無理。もういい、帰っていい?」
「ダメ! 自由を研究するって決めた以上、この発表を完遂するまで私たちは自由になれないわよ!」
夕暮れの教室で、岡崎は勝利の(謎の)笑顔を浮かべた。黒板には、粉塵とともに、あまりにも高度で、あまりにも無意味な「自由」の解剖図が刻まれていた。
【付録:自由研究 発表資料】
テーマ:自由研究の「自由」を研究してみた結果
研究者:岡崎(担当:自由の解剖)/瀬戸(担当:現実の維持)
【研究の動機】
自由研究のテーマが決まらないという「不自由な状況」を打破するため、自由研究の核心である「自由」そのものを研究対象とした。テーマが決まらないという停滞を、「何もしない自由」の享受であると定義し、その正体をメタ的に解剖する。
【哲学的考察】
- アリストテレス(古代ギリシャ): 自由とは目的への正しい行動である(徳)。単なる放縦ではなく、正しい目的のために行動すること。
- スピノザ(17世紀): 自由とは「必然性の認識」である。自分の行動を支配する原因を正しく理解し、情念に振り回されないこと。
- カント(18世紀): 自由とは「自ら課した法則に従うこと」である。自分の欲望に従うのではなく、自律的な意志の規律に従うこと。
- ヘーゲル(19世紀): 自由は精神の発展としての歴史的な過程である。歴史の積み重ねによって、自由の形態は進化し続ける。
- サルトル(20世紀): 「自由の刑」。人間は自由という刑に処されている。無限の選択肢の中で、自らを選択し続けることの重圧と責任。
- ハイデガー(20世紀): 「存在への投げ出され」。私たちは世界に投げ出されているが、その中でどう生きるかを選択する事自体が自由である。
- フーコー(20世紀): 「権力と規範」。私たちは権力や社会の網の目の中で、あたかも自由であるかのように「管理された自由」を享受しているのではないか。
【現代における自由の再定義】
現代の自由とは、過剰な情報と選択肢の海(ノイズ)から逃れ、自分の意志で「何もしない」を選択できる静寂の能力である。
【結論】
自由研究のテーマが決まらなかったのは、私が「何もしない自由」を無意識に享受していたからである。この研究を通じて、私は「自由なテーマを探さない自由」を獲得した。
岡崎「わたし岡崎の『理論武装した狂気』と、相方瀬戸の『胃を痛めるリアリズム』のコントラストが、今!この瞬間!新時代学園物として、幕をあける!」
瀬戸「あかないからー!!」
つづく(つづかないからー!:瀬戸)